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【さくらじ】#13「若者奴隷」時代 "若肉老食"社会の到来

「若者奴隷」時代 "若肉老食"社会の到来


@さくらじ13回は、「嫌韓流」「若者奴隷時代」で著名な山野車輪先生を招聘し、若者問題を語った。

主なトーク内容
★結婚しない若者!?若者と結婚
★雇用の喪失と若者
★老人だけに偏重する国富・資産・土地~若者奴隷の断面~
★年金と国保からみる若者奴隷
★投票しない若者、投票する老人
★おれおれ詐欺ならぬ”わしわし詐欺”とは?
★萌えは搾取の対象!?~若者を搾取するアキバ社長の素顔~
★話題の「ベーシックインカム」って何?


ニコニコ動画版



+放送雑感-

若者問題を語るとき、殊に”若者は被搾取者であり高齢者は搾取者である”という論調を張るとき、少なくない反応として「老人をdisるなどとんでもない、焼け跡から這い上がった戦後の繁栄を苦心して築きあげた高齢者をdisるとは何事か」というものがある。

これは甚だ大誤解であるのは明白である。なぜなら今回のゲスト・山野車輪先生の指す、”若肉老食”の”老”とは、所謂「焼け跡闇市世代」を形成した戦後第一世代ではなく、1970年代前後に青春を迎えた、戦後すぐ~朝鮮戦争前後に生まれた即ち「団塊の世代」を対象としていっているのである。

当たり前の事だが、段階の世代はオイルショック以降の安定成長には若干寄与したかもしれないが、その中の少なくない勢力は曰く「全共闘世代」といわれた連中であり、当然の如く彼ら”団塊”は日本の戦後復興とは無縁の世代である。

現在と比して遥かに違うものの、”団塊”が青春を迎えた時代は既に日本は世界第2の経済大国であり、即ち彼らの社会人以降の人生とは、戦前戦中を戦い抜いた戦後日本繁栄の土台を築いた「祖父」達とは決定的に異なることに注目されたい。”団塊”とは、これら過去の栄光を引き継ぎ、安寧の上に胡坐を描いていた世代であることは歴史の事実であり、山野先生が言う老人とは、かれら「団塊」のことを指すとまず言葉の定義をしっかりせねばならぬ。

かれら「団塊」は、戦後日本の繁栄を築いた世代ですらないのに、妙に天下国家を語り自分達がこの国の繁栄の先鋭であるかのごとく語る肥大した自意識は、私からすると不気味ですらある。丁度、明治の元勲が死に絶えた後(西園寺公を除く)、明治以降の繁栄しか知らない昭和の”エリート”が、自分達こそ国家意思であると自負し、悪戯に肥大した自意識を振りかざして国家の舵取りを誤った昭和の一時期と重なって見えるのは私だけであろうか。

山野車輪先生の言う、”老人天国”とは、このようなわが国の繁栄に直接関係無いのにもか関わらず、あたかも自らが戦後日本の繁栄を築いたと錯覚し、肥大した自意識の元で社会を誤った方向に導き、そして結果社会構造を歪め、自らの無謬性を疑わずにひたすら保守的(政治的な意味ではなく)な財産構成をしてきた、彼ら「団塊」へ向けたレクイエムであることを忘れてはならない。

”焼け跡闇市”から世界2位の経済大国に、不死鳥の如く復活させた戦前戦中世代の「祖父達」と、その安寧の上で”反帝”などと政治をファッションにした所謂”サヨク全共闘世代”の団塊の老人達は明確に区別せねばならない。

いままでの「団塊」は若者の手本にならなかった。それは彼らが結局のところ戦後的合理主義、利「個」主義に終始し、後進に語る言葉を持たなかったからである。彼らから出る言葉は、やれ「反国家」「反日本」でしかなく、それらはかれら「全共闘時代」の青春の押し付けにしか映らない。そんなものはわれわれ若者の心に微塵も届かない。嘘と虚構と保身にまみれた彼ら「団塊」こそ戦後最大の癌であり、万死に値すべきである。

しかしながら、少なくない良心の人々が「団塊」の中にも居て、それは保守派の中に、いや保守派の中にこそ健在であることは一縷の光であることを付け加えておきたい。チャンネル桜の中にあって、われわれのような若輩に語る場所を与えていただいた栄典と意義を噛み締めたいと考えている。

文・更新 古谷経衡


ポッドキャスティングで聴く | 013-20110202.mp3

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