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古谷 経衡 ふるやつねひら≫

評論家/著述家。1982年北海道札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。
2008年、アニメ批評ブログ『アニオタ保守本流』主催。以後、ネットラジオパーソナリティなど。2012.6~2013.6までオピニオン誌「ジャパニズム」編集長。
著書『ネット右翼の逆襲』(総和社)、『ヘイトスピーチとネット右翼』(オークラ出版・共著)
『竹島に行ってみた』(青林堂)ほか

公式 古谷経衡公式サイト

テレビ局が番組を作る時代は終わった


 四季報によるとフジテレビの年収は1529万円、公共放送たるNHKですら1000万円を超えてくるという。

 当然のことながらこれは私の数年分の年収に値するものであるが、職員たった一人にかかる
統計上の平均がこれなのだから、一体ひとつのテレビ局でいくらの予算があり、いくらの利益があり、どの程度の経費が湯水の如く使われているのかは、小市民の私からすると天文学的な数字であることは疑いようも無い。放送やテレビ局の内情に疎い私であっても、1時間の番組を作るのにかかる金が、定食屋のランチの値段と同じではないことぐらいは分かる。

 ところが、そういった我々小市民の預かり知らないところで莫大な予算を以て作られる既成の大手マスメディアの番組の質的な側面が、そうした費用と比例しているのかと問われれば全く疑問なのである。相も変わらずジャ○○ズ事務所や知性のかけらも無い使い捨てのごとき馬鹿芸人がひな壇に並ぶだけの低劣番組のオンパレード、ここに最近韓流アイドルが加わったというのだから笑止である。

 テレビ局も不景気で金がなくなってきて、出演料のダンピングで安い人間を使わざるを得ない、
などと業界通ぶった自称評論家がしたり顔で物申すが、徹底的に出演料をダンピングしたいなら、手前の局の警備守衛のお爺さんをつれてきてマイクの前に立たせたほうがよっぽど面白い。(伊集院光は、実際に深夜ラジオでこれをやっている)

 事ほど左様に、放送や番組は、その経済的施設的なハードルの高さと、そもそも局に入社し、
「制作者」になるという段階で極めて狭き門であり、それが故に構造的にムラ社会となって特権化しているのは周知のとおりである。

 私は2008年からインターネットラジオを主催し、これまで述べ20万人以上の視聴者が存在するが、それらの制作にかかった費用は最大で見積もっても10万円を超えないし、時折思い立ったように行う深夜の個人生放送でも、たった1回でちょっとした地方自治体の数の視聴者が訪れるが、それにかかる経費は定食屋のランチ半人分に満たない。


 一部のエリートと特権階級だけが、放送や番組を操るという時代は終わった。にも関わらず、その自明に気づかないか若しくは気が付かないフリをしているのは、視聴者などではなく当のテレビ屋本人であるということを知れ。

 新装する「さくらじ」のパーソナリティを任せられたことはこの上ない光栄である。
私は、フジや日テレやTBSの特権意識むき出しの無能者が、100万円掛けて考え出す企画の
はるか質的に上を行く番組内容をその数百分の一以下でやりたい。放送や番組とは一部の特権階級の専売ではなく、広く一般国民に開かれた双方向の自由空間であることを示したいと思う。


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